|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 福 : [ふく] 【名詞】 1. good fortune ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 玉 : [たま, だま, ぎょく] 1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin ・ 名 : [な] 【名詞】 1. name 2. reputation ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
廣福寺(こうふくじ)は、熊本県玉名市石貫にある曹洞宗の寺院である。大本山・永平寺の直末寺。小岱山系観音岳の東麓に位置する。肥後西国観音霊場第24番札所。 == 歴史 == 創建の年代及び由来には諸説ある。 寺伝では、正平12年(1357年)、菊池武澄が、肥後国菊池郡の鳳儀山聖護寺より大智禅師を開山に迎え開基したという〔熊本県庁ホームページ「廣福寺(こうふくじ) 玉名市」 〕。 より正確には次のようなものである。大智が招かれていた聖護寺は僧尼未分離の寺であった。そのため、大智は僧尼が分離された寺の建立を望んでいた。菊池武重の母・慈春尼は、庶子の武澄にこれを伝え、正平11年(1356年)、武澄は、石貫寺という既存の寺を、大智を開山とする曹洞宗瑩山門派の寺にすることを発願する。しかし翌年死去。武澄の妻・了悟尼が武澄の遺志に従って寺地を寄進し、廣福寺が成ったという〔『国史大辞典 第5巻』492頁など〕。 一方、『肥後国誌』には、大智禅師は聖護寺を開いたが、戦乱の際に大智が菊池武時を寺に匿ったことから、後に肥後を再び平定した武時が、このときの大智の恩に謝するため、元徳2年(1330年)、廣福寺を開基したとある〔『肥後国誌』561頁〕〔もっとも、『国史大辞典 第5巻』492頁では、この説の根拠となる菊池武時寄進状には形式上の問題があるとされる。〕〔このほか、観応2年(1351年)、菊地武時の開基とする説などもある。『熊本県の地名』138頁。〕。 寺は菊池氏代々の菩提所として栄えたが、菊池氏の衰退とともに寺勢も衰えた。 その後、肥後に入国した加藤清正が寺領を寄進し、寺は再興された。寛永17年(1640年)までは、大智禅師が開いた加賀にある祇陀寺の末寺であったが、同年、永平寺の直末となった。 菊池氏代々の菩提所であったことから、寺には菊池氏歴代の位牌や、菊池氏に関する古文書、寺宝が数多く残る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「廣福寺 (玉名市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|